第8回JDEC レポート1 居場所の意義

2月6~7日に東京で開催された『第3回多様な学び実践研究フォーラム&第8回JDEC(日本フリースクール大会』(長い・・・)。
こちらの報告の本編です。
とはいえ膨大なボリュームの内容を細かくまとめると、そのまとめも膨大になるので、要点を絞ってお伝えします。
例の法案についてはまとめるのがさらにタイヘンなので次回に譲り、今回は「居場所」というキーワードについてお話してみようかと。

2日目午前の分科会は「居場所と学びの実践」に参加しました。
まず長崎のフリースクール・クレインハーバーと、川崎のフリースペースたまりばが実践報告。
※NPO法人フリースクール クレインハーバー : http://www1.bbiq.jp/craneharbor/
※NPO法人フリースペースたまりば : http://www.tamariba.org/

たまりばは川崎市が設置している「子ども夢パーク」を公設民営という形で運営しているのが最大の特徴。
全天候広場、スタジオ、ログハウス、創作スペース、サイクリングロードといったものが一般的なフリースペースとは別に設置されている、子どもの居場所としてはまさに最強レベルの場所。
参考にするには規模がちょっと大きすぎる感じ。
魅力的な環境ですが、それでも経営がタイヘンとのことで、居場所運営の難しさを改めて認識することにもなったり。

2団体の事例発表のあと、富山大学の高山龍太郎さんから、「不登校の居場所における四局面」と題された研究報告がありました。
高山さんは、富山県射水市とNPO法人こどもの権利支援センターぱれっとによる公設民営の子どもの居場所「射水市子どもの権利支援センターほっとスマイル」にも携わってます。
※NPO法人子どもの権利支援センターぱれっと : http://npo-palette.org/

ここでの居場所は不登校状態の子どもにとってのものを想定しています。
不登校状態の子どもの多くは「学校に行かなくていいんだ、わーい」とはなりません。
学校に行くという「普通」の状態から逸脱してしまって、でもどうしていいか分からなくなって、その子なりに疲弊しているというのが実情。
そういった状況にあたって「十分に休息してエネルギーをためれば、子どもは自然と自分の力で動き出す」という前提で構成される場が「居場所」であると高山さんは定義しています。
「多様な学び」という視点で不登校を捉えようとすると、学校で学べないならフリースクールなり家庭なり通信制高校なり「他の場所」で学べばいいじゃん、と我々はつい考えがちになりますが、その前に子どもが抱える「疲弊」に着目して、そこを回復させる必要があると。
居場所の意義のひとつは、ここにあります。

十分に休息してエネルギーをためる居場所として、家庭というのがひとつ挙げられます。
しかし昨今は様々な理由から家庭が居場所足り得ないケースがあるし、家庭では社会や他者との接点という意味では弱いところがあります。
親御さん自身の負担増という側面もある。
そこをフォローする目的で近年現われて来たのが「人工的に作られた事業としての居場所」。
そこが事業として存在する以上、そこには有給スタッフや経営という概念が存在する。
そして、基本どこも経営難なんですよね。
経営難という実情には様々な要因があるでしょうが、居場所の社会的意義が今ひとつ世の中に理解されていないというのはひとつあるかもしれません。
そのための発信がJDECの意義のひとつと言えるのでしょう。

高山さんは「居場所の四局面」として次の項目をモデルとして挙げます。
・第1局面 : 他律的な目標の無効化 ~ 抑圧からの解放
・第2局面 : 好きなことへの没頭 ~ 生きていることの実感
・第3局面 : 自らの目標設定と達成 ~ 成長の実感と社会的認知の獲得
・第4局面 : 居場所運営への参画 ~ 責任と秩序形成
上記4局面を段階的に踏んでいくのではなく、それぞれの局面を行きつ戻りつしながら、らせん状に自分の関わる局面を増やしていく。
複数の局面が同時並行する方が普通とも言います。
いったん他律的なもの(外部からの要請・例えば学校に行かなくてはならない等)から距離を置き、上記局面を行き来しながら、再び他律的な社会へと出ていく。
そして他律的な世界に疲れたら、居場所とも行きつ戻りつできる形。
上記の居場所モデルにおける運営スタッフの位置付けは、
・第1局面 : 守護者・カウンセラー
・第2局面 : ガキ大将
・第3局面 : 助言者・評価者
・第4局面 : 仲間・同志
という役割になると高山さんは言います。
これらをひとまとめにして、俗に言われる『自分と向き合う場所』になるのかもしれません。

社会に関われればそれでOKということではないんですよね。
その関わりを各人なりにどう継続できるか、というのが大事なはずなんです。
そのためには子どもに限らずその人なりに継続できる基盤となるものを根付かせておく必要がある。
不登校などにおける社会の本流(ホントはそんなものはないのでしょうが)から外れてしまった人たちには、それがより必要となってくる。
就活でも、ただ就職が決まればいいというんじゃなく、それをどう継続させていくか(転職の可能性も含めて)という視点が最近では重視されてきています。
それと同じでしょう。
人生に関わってくることなので、付け焼刃な対応ではすぐボロが出ます。
そして、そのフォローのためには、第三者が人工的に居場所を用意する必要があると。
人が社会に関わるにあたって、上記のような居場所についての観点と理解が大事であることを広く世に伝えて、居場所の意義を認知させていくことが必要なんでしょうね。(藤井)