第8回JDEC レポート2 多様な学び法案の行方

早いもので2週間前の出来事となった『第3回多様な学び実践研究フォーラム&第8回JDEC(日本フリースクール大会』(長い・・・)。
先延ばしにしていた「例の法案」についての話をしてみます。

JDEC初回である2009年の時点からすでに「学校外の教育環境を既存の学校と同じ公教育として位置付ける」新法を制定させることが盛り込まれていました。
その後、「オルタナティブ教育法」~「子どもの多様な学びの機会を保障する法律」~「多様な教育機会確保法案」(昨年いろいろ話題に挙がったときはこの名前)といった感じで、法案名が変遷していきました。

今回も法案についての話が出るということで、少し予習をして臨みました。
考えるポイントは「多様な学び」と「不登校対策」はイコールではないということ。
JDECとして打ち立てる「多様な学び」とは本来、既存の学校で学ぶことが本流であり、他の選択肢はその代替という発想ではなく、学校とそれ以外の学びの場が同一の選択肢として存在する環境を保障したいということです。
「まず学校」ではなく、最初から「どれでも選べる」ということ。
海外では、こちらが当たり前という国がいくつもあります。

ただ日本では長い間、「子どもは学校で学ぶもの」というのが常識化していて、学校に行くのは問答無用、それが行けなくなったときに「じゃあどうしよう?」という発想の流れになってしまいます。
これは不登校支援を考える人たちの中にも根強く存在する考えで、「学校に行けなくなった子をどう支えるか」と考えた時点で、まず学校を主軸に置いていることになります。
これがまず「多様な学び」ありきの発想だと、既存の学校に問題なく行ける子どもでも例えば「自分はサドベリースクールの方がいいや」となればそちらで学べることを保障するということになります。
その子が学校に行けるかどうかは関係ないと。

だから海外ではフリースクールというのは「不登校」という概念とは関係なく生まれているのに、日本では上記の理由からどうしても不登校支援とワンセットで捉えられてしまいます。
JDECの参加者内でも海外志向か日本志向かに分かれている。
さらに「不登校支援」を主軸に置く側だけでも、代替案として多様な学びを保障しようという考えと、そもそも不登校で疲弊した子どもには「学び」からもいったん距離を置いてひとまずの休息を保障すべきという考えに二分しているんだなということが分かりまして。
いろいろ、ややこしくなっちゃてるんだなと。

で、そういうややこしい議論をせざるを得なくなった法案は今どうなっているかというと、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案」という感じで、名前までややこしくなり。
「多様」という文言が消えて、懸念材料のひとつだった個別学習支援計画が消え、全ての子どもが(既存の)学校で教育を受けられる環境の整備が主目的になり、それが難しければ適応指導教室(学校復帰を目的とした子どもの支援場所、苫小牧にもあります)の充実、それすらも難しければ学校以外での学習状況を把握するといった、すっかり後退した内容になってしまってます。

こういった残念な内容のものでも、まずは法案として通して、それから中身を理想に則したものに変えていくというのがJDECでの法案推進側の考え。
これが適切なのかは、わたし(藤井)としては判断がつかないというのが正直なところ。
個人的には不登校とは関係なく「多様な学び」が日本に根付いた方がうれしいなとは思いますが。
ただ常識・当たり前という発想から来る対外的な障壁は高く、「多様な学びについて理解を示す人が100人レベルで集まるJDECではあるけれど、一歩会場の外へ出ればほとんどの人が理解というか想像すらしない」と主催側の人が発言していたのが印象的でした。
東京でこれだけの規模のイベントを8年やっていても難しいのかと。

まぁでも厳しいとはいえ現状を知らないより知る方が大事なことだなとは思います。
現状認識をしなければ、文字通り現実的な行動はできませんからね。

初回から今年までの全てのJDECに参加している札幌の「訪問と居場所 漂流教室」のブログを読むと、法案に関するこれまでの議論の流れがよく分かります。
以下URLから読めますので参考にしてみてください。(藤井)
http://d.hatena.ne.jp/hyouryu/searchdiary?word=JDEC&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail