「愛の反射鏡」のお話し

7年ほど前、わたしが札幌の介護施設で働かせてもらっていたときの入居者さんから今もよく電話をもらいます。

職場を離れた後は施設に入所されている方と極力接点は持たないというのが一般的なのかもしれませんが、相手のひとも30代の同じ男性ということもあって若い者同士(?)笑 今でも連絡を取り合っています。

ところが、「いい電話ができたとき」は相手もノリノリで長話になるのですが、「そうでない時」は相手が「ごめん、なんだか具合が悪くなった」と言ってたちまちのうちに電話が終了してしまいます。

相手の方は「ぶんちゃん(わたしのこと)は悪くない、おれが悪いんだから」と言ってくれるのだけど、いやぁこれはぼくに責任あるなぁと毎回思うわけですね。

以前は良い電話とすぐ終わる時の違いがどうも分からなかったのですが、最近、なんとなく自分の心持ちが関係しているような気がしたのでちょっとブログにつづってみようと思います。

というのも、忙しいときや他のことに携わっているときに電話がかかってくると僕の心が相手の気持ちを受け切れない時がよくあって、相手から来た想いをただUターンで返してしまう。「ここから先は通行止めです」みたいな粗末な返答。話をしながらも内心では「昨日も電話したしなぁ。今、ゲームの途中なんだよなぁ、とか。ご飯や仕事の最中なんだよなぁ。」という思いが顔を出してくる。それで「ぼくは~についてはこう思うなぁ」みたいなあごを伸ばした話をついついしてしまう。

でもちょっとでもそういう思いが顔を出したときは必ず相手はそれを察知してすぐ電話が終わってしまいます。

電話が早く終われば、ご飯も食べられるし、仕事や遊ぶ時間も増えるんだけど、やっぱりどうも後ろめたいです・・・。

でも、4、5回に1回くらいの割合で「いい電話ができたとき」もあって。

それは相手を大事に想えて、相手がそれに応えてくれて楽しい電話になって、それを自分も喜べているとき。だったなって。

「愛の反射」というのかわからないけれど、そのあたたかな「まんまるの関係」をちゃんと大事に想えていることを学ぶための機会を今与えてもらっているのかなって思ったりもしています。

 

そう、それで、あっこれ良い言葉だな?って思って「愛 反射」で検索してみたところ・・・。

「愛の反射鏡」のお話し という記事を見つけました。そこに今は亡くなられている北海道旭川市出身の「坂東義教先生」のお話を徳島医療センターの小児科医の先生が紹介されており、大変僭越ではありますが一部抜粋紹介させていただきたいと思います。

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『愛の反射鏡』のおはなし
坂東先生はユーモアあふれる話しっぷりでスタジオの主婦を笑いの渦に巻き込んだ。こうした講演内容を臨場感にあふれる形で出版されたのが、坂東義教著「坂東先生の教育講座(昭和53年、テレビ朝日)」です。昭和53年10月にこの本を書き終え、それから約1ケ月後の11月15日、講演先の長野県明科町(現・安曇野市)から帰宅途中のタクシー内で意識を失い、間もなく亡くなった(死因は脳出血)。坂東先生の急死に際し、全国津々浦々から多くの要望があり、坂東義教著「続・坂東先生の教育講座(昭和54年、テレビ朝日)」が出版された。
「続・坂東先生の教育講座」の中の坂東孝子さん(奥様)の寄稿文「夫 坂東義教のこと」には、坂東先生が大病をし、医者に見放され退院して、地獄のような日々をなんとか乗り越え、職場復帰ができた経緯が書かれている。その後テレビにも復帰し、人気者になっても、「僕は一度は死んだ体なのだ、だから、あとの人生はもうけものなのだ。あと残り少ないだろう人生を、世のため人のためささげたい」常日頃話していた、とのことです。また、講演の準備で徹夜をする事はしょっ中で、どんな小さな講演でも小さな原稿でも大切にしなければならない、その積み重ねがものを言うのだからと。「僕は決して話の上手い方では無いのだよ、もし良いものがあるとすれば、それは準備の良さなのだ」と、本当に仕事の鬼でした、と書かれています。
坂東義教先生の人となりをある程度知ってほしくて、固苦しい文章が続きましたが、ここから坂東義教著「坂東先生の教育講座(昭和53年、テレビ朝日)」の最初の講座「愛情について」の中で話されている「愛の反射鏡」のお話しです。この「愛の反射鏡」を説明するのに、先生は「愛」という字を分解して、「愛は心をノの字で
受ける」と言われた。例えば、「おかあさん、先生にほめられたんだよ」って子どもさんが言った時に、なにを受け入れるのかというと、つまり “情” を受け入れるんです。ほめられたんだよって言った時に「あらあ、ほめられた」 っ て 、「」の字さえつけておけばいい。そうすればいいのに、九六パーセントのお母さん方はこうくる。「なにをほめられたか言ってごらん」って‐‐‐‐。「こうしてこうしてこうしてほめられたんだよ」「やあー、よく聞けば笑われたんでないの、このばか!」(笑)「おかあちゃーん、マルもらったよお」ってね、こう言った時に、たいがいのお母さんは知の方で反応する。お母さん頭あんまりよすぎて、こっちばっかり。(頭を指す)心のほうを忘れている。で、「やーあ、よく見たら零点じゃないの」(笑)これはね、間違いですねえ。マルもらったよと言った時はね、あの、奥さあん、いちばーんいい方法はね、子どもさんでもお父さんでも、子どもさんがったこと、ご主人がおっしゃったことを、そのまんま繰り返せばいいんです。「おかあちゃん、マルもらったよ」ったら、「あらあ、マルもらった」そうすれば情に反応することになるんですよ。この情に反応するお母さんはたった四パーセントしかいない。「おかあちゃーん、マルもらったよ」ったら、「あらあ、マルもらった
」と言うと、「うん、今度ボク、もっとたくさんもらう」って。(中略)反射の鏡といいますのは、
お父さんのった言葉とおんなじ言葉をって、お父さんのつかれたなあっていう、そういう顔つきも同じになって。ね。それでおんなじ気持ちになってやるのが、本当に理解のある奥さん。そうすれば「おまえはやさしいなあ」って。(原文のまま引用)

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坂東 義教(1927年~1978年11月15日)先生
北海道独特の訛りに津軽弁も織り交ぜ、話にユーモアを交えた内容が多く、当時、多くの教育番組へ出演された。

 

 

不登校 子ミュニティ Baobab(バオバブ)

スタッフ:いそざき