はじめてのブログ執筆

検討委員会に参加させていただいています、磯崎です。はじめての投稿になります。少し長く、乱文ですが読んでいただけたら嬉しい限りです。

私自身、高校を中退したあと引きこもり・ニート生活を5年近く経験した当事者でもあります。
今でこそ、親の気持ちとかを考える余裕も少しばかり生まれて「ああ、あのときは申し訳なかったなあ」と思うことも─。

わたしが学校に行かなくなったのは、高校2年生くらいの頃でした。それまでは嫌々でも、勉強もまじめにやってきていたつもりです。でも、どう考えたって社会的な必要と合致しない学校の勉強に、こんな意味のないことを平然とやってられるかーっと、とうとう断固とした拒否スイッチが入ってしまったんです。家ではゲームばかりやっていたので、とにかく学校を休みたかったという気持ちがその思いを一番後押ししていました。
そうこうしていると、普通に学校に行くことが出来なくなってしまって、遅刻した上に早退するなんてこともよくありました。
それで、結局高校は3年生の時に退学してしまったんです。
ですが、もしも「今の自分」が当時の私に入れ替わるんだとしたら、おそらく高校は卒業までいたかもしれません。入れ替わっても、学校の勉強は身に入らず、留年しない自信もありませんが・・・。
きっと、私は学校に行くのが楽しいと思えているのではないかと思うところです。
というのも、今(28才)になってようやくはじめて学校の楽しみ方を身につけられるようになったからかもしれません。

友達に対しても、先生に対しても。自分かそれ以上に相手を大切に思うことが出来ないと、楽しめないものだから。
あのときのわたしには、どうしたってわからないことでした。
それに、「勉強ってこういうことだなぁ」って、大人になってから本気になる「本当の勉強」はとても楽しい。
国語、数学、理科、社会は深い楽しみを知っている先生はいいけれど、生徒にもそれが伝わらないと、先生だって教えていてつまらないはず。
もっと先生の楽しみを生徒のみんなに伝えられるような授業の出来る、余裕のある教育形態をとれたらいいのに。と、一人思うところです。

ひきこもりや、ニートと聞くと、その人の何かに問題があって、何かが悪いんだって多くの人が思うかもしれません。
いや、確かに、私には随分問題はあったと(いや、今もあると)思いますが・・・。
1歩譲って、そうだとしても。それでも、そういうひとには表には出てきていないけれど、すごく良いものを自分の内側に持っているような気がします。
引きこもりから社会人になっていくには、1歩1歩、「優しさ」と「思いやり」という階段を登っていかなくてはいけません。
それは他の誰よりも、不登校や引きこもりといった当事者たちの内側に、一番力強く輝いているものです。

今、居場所(フリースクール)の設立に関して意見が出し合われています。個人的には居場所が出来たらいいなぁという気持ちもありつつ、引きこもりだって大事な期間だしなぁと思う所もあったりします。一般の方からみれば、それは単なる停滞期間と思われるかもしれません、、、でも、わたしはそうは思っていません。自分にとっては、大切なことに気づかせてくれるために「必要だったもの」とも感じています。それでも、家族やまわりの方には、申し訳ないのだけど、「七転び八起き」なんて言葉もあり、起き上がるために、転ぶことが必要なんですね。・・・えっへん。

雑草魂(だましい)と共に、これからも検討委員会にしぶとく参加させてもらおうと思ってます。(笑)磯崎でした。