カテゴリー別アーカイブ: テープリライト

「とまこまい生きづラジオ」のテープリライト記事です。

北星余市応援ラジオ・テキスト2 千葉さん編 『北星余市は時代の最先端』

テキスト1 からの続き
https://www.kokanet.org/archives/1657

hr002

藤井 : それでは続いて千葉さんいいですか?

千葉 : はい。えっと、まず幼少期から話していこうかなと思うんですけども。ぼくは次男坊として生まれて。次男は可愛い可愛いって育てられて。そのまま小学校に入って。で、國井さんと同じくぼくもサッカーをやっていたんです。4年生からやっていて、レギュラーでキャプテンをやっていたんですけど、何もしなくても、ただ練習してるだけでもレギュラーになれるんだなっていう簡単な思いがあって。で、勉強をやってても、当時はそこそこ点数とれるし、このまま順調に行けばまぁ普通に生きていけるかなと。そのあと中学校でもサッカー部に入ったんですけど、そこのサッカー部がいいイメージのところじゃなくて。同級生が「ハッカの味のタバコがあるんだ」って薦めてくるようなところ。近くに商店があったんで、そこの自動販売機で当時200いくらで。

國井 : 220円。

千葉 : お金を入れて。で、20本入ってるんで、サッカー部みんなで海に行ってタバコを吸ってたんですよね。「悪いことがカッコいい」「みんなしてないことがカッコいい」というのが自分の中にあったんです。そのあとも、周りのサッカー部の人たちとタバコを吸っていて。あるとき、自分がタバコ吸ってるのをちくられたんですよね。「サッカー部の2年生がタバコを吸っている」とちくられた。それで学校の進路指導室に呼ばれて、そのあと「おまえ部活やめろ」という話になって。だけど、ぼくらは苫小牧市内の学校の中では常にサッカーで優勝していた学年なんですよ。だから確実にやめることはないだろうなっていう思いはあったんです。それでも処分は受けることになって。今ぼくは坊主頭なんですけど、そのときは坊主にするか、辞めるかどっちかにしろってことで、よくあるケジメですよね。けっきょくみんなで坊主頭にした。その後、普通に生活していたんですけど、中学になってから勉強嫌いというか勉強の仕方が分からなくなっていて、勉強していなかったんですよね。そうすると、いざ受験となったときに行く高校がまず無いと。

藤井 : うん。

千葉 : それでどうするのかというと、私立しかないよという話になって。ぼくは別に高校はお金を払えば誰でも入れるもんだと思ってたんで。

藤井 : ふんふん。

千葉 : それでも入る高校ないよって言われたんですけど、別に焦りもせず。

藤井 : うん。

千葉 : 行く高校ないなら、お金払えばいいんじゃないみたいな。まぁぼくのお金じゃないんですけど。

藤井 : ははは。

國井 : 親が聞いたらびっくりですけど(笑)。

千葉 : それで私立高校に普通に行くことになったんです。一応、第一志望は公立受けたんですけど、さすがに勉強してなかったんで落ちるの当然ですよね。で、公立の合格発表のときに「落ちた人は何時から中学校に来い」ってことになって。それで中学校に行ったら、それを見ていた先生が「千葉が暗い顔をしていた」と家に電話をかけて。「そんな顔は今まで見たことない」という電話をしてきたんですけど、ぼくは一切そんな暗い気持ちはなく、普通に家に帰ってゲームをしてたんですよね。そして私立高校を受けて、その試験の合格発表のときは見に行かなかったんですよ。そしたら担任から電話がかかってきて「受かったぞ」って言われて。ぼくは電話に出てないんですけど、親が出て。そのときもぼくはスーパーファミコンやってたんですけど。

國井 : ははは。

千葉 : NBAのバスケのゲームやってたんです。で、私立の高校に進学したんですけど。高校入ったら部活はやめて楽しいことをして過ごそうかなと。いいことも悪いこともしながらと思ってたら、小学校~中学校と一緒にやってきたサッカー部の人たちと偶然またそこで出会うんですよね。もう他の学校ではあるんですけど。

藤井 : はいはい。

千葉 : そのときに、みんなやんちゃなんですけど、そこにぼくも引き込まれ。人のせいな感じにしてるけど、とにかく引き込まれ(笑)。

藤井 : ははは。

千葉 : 一時期タバコも吸ってなかったんですけど、またタバコを吸い始め。けっきょくサッカー部に入ったんですけど、楽しくなくて辞めて。高校2年生の冬、あと何ヶ月かで3年生になるよってときに、勉強嫌いなぼくは成績も良くなくて。「このまま行ってダブるのも嫌だし、高校辞めようかな」って思って、親にも話をして。そしたら親はそれを賛成するわけもなく。で、ぼくは部屋に閉じこもり。オヤジが仕事に行く前に自分を呼びにくるんですけど、それを自分は断固拒否して相手にせず。それでも1回ドアを開けられたんですよね。で、オヤジと話をして揉み合いになって殴ったりして。だけど思いっきりは殴れないんですよね、オヤジには。それで「もういいからあっち行けや」みたいになって。高校辞めてどうするのみたいな話になって。そこで親は「北星余市に行け」って勧めてきたんです。でもぼくは勉強したくないし、北星余市は怖いイメージがあったし。オレは勉強したくないし、遊ぶ金が欲しいから働くっていうことで、当時の友だち、今も友だちなんですけど、その友だちが働いてるところにお世話になったんですよ。でもそこは長く続かず、また仕事を換えてって感じでやってたんです。それでも月30万円くらいは稼いだときがあって。

藤井 : うん。

千葉 : そしたら周りの友だちが高校3年生になって。高校生ってお金ないじゃないですか、バイトしたって月3万・4万しかもらえない。でも、ぼくはその10倍以上もらってるっていう。それでお金の羽振りがよくなって「飲みにいくぞ」とかっていうふうになって。それで友だちが高校卒業する頃になって、短大に行ったり、就職したりっていうふうになったときに、なんか彼らをすごい羨ましく感じたんですよね高校を卒業して、進学したり就職したりっていうのが。ぼくはそのときに土方とか鳶とかやってて、雨の日は休み、今はどうか分からないですけど当時は休みになってて。「このまま65歳まで働くのか」というふうに思ったときに、そのときはもう二十歳、気付いたのが二十歳だったんですけど、「このまま土木作業員とかっていうのも体に堪えるな」と。土日も休みたいし。ということで「もう一度高校に行きたい」って親に話したんですよ。そのときはもう選択肢は北星余市しかなくて。それで親からも「北星余市に行きなさい」って言われ。そしてぼくが思ったのは北星余市で卒業証書をもらえれば、後は就職してダブった分をまたクリアできるのかなと。

藤井 : うん。

千葉 : ただ卒業証書だけ欲しいと思って北星余市に入った。で、年齢も年齢だったんで、4回ダブりで他の人と一緒に暮らすってのがすごい嫌だったんですよね。地元では自分を先輩って言う年齢の人たちと余市で一緒に生活するのも抵抗があって。だから自分の中では静かにひっそりと、影を隠して卒業しようかなと思ってたんですよ。でも、そう思ってたのも束の間、入学して1週間かそれくらいでクラスで自己紹介があったんですよ。ぼく、あまり自分の名前を人に言うのが苦手で。滑舌もよくないんで「タカヒロ」っていうのが言えないんですね、あまり。

藤井 : うーん。

千葉 : なので下の名前は言わないように、伝えるのは苗字だけにしてたんですけど。「下の名前なんて言うの?」って周りがすごくうるさく聞いてくるんですよ。

國井 : ははは。

藤井北星余市では先生も下の名前で呼びますからね

千葉 : すごい聞いてくるんですよね。それにぼく、もう耐えられなくて、「好きに呼んでいいよ」っていう感じになって。それで当時、ゾマホン(※外国人タレント)っていう人がいて。

國井 : あー。

千葉 : なぜかゾマホンってあだ名をつけられ。

國井 : ははは。

千葉 : ゾマホンってあだ名を付けられる生活をしていた。で、ぼくは4回ダブりだったんですけど、8回ダブりという年上の人がいて。

國井 : へー。

千葉 : それ先生と年齢が一緒じゃねーのってのがいたんですよね。

國井 : すごい。

千葉 : そういう人がいたり、ぼくと同じ4回ダブりというのが同じクラスにいたので、ぼくはクラスの中で年齢とか関係なく、気にせず生活することができたんですよね

藤井 : うーん。

千葉 : それは先生たちが気をつかって、そういうクラス編成にしてくれたのかなってもあるんですけど。その後、ゾマホンというあだ名のままクラスの学級委員をやることになって。当初は静かに卒業しようと思ってたんですけど、なぜか人前の方に出ることになってしまって。で、北星余市の人はみんな経験している競歩遠足(※)があるじゃないですか。ぼく2年生のときに50kmを歩いたんですよ、調子こいて。

(※競歩遠足:毎年6月上旬の土曜日に開催される北星余市高校の名物行事。全校生徒・教師・PTA・PTAのOBが大自然の中を30km・50km・70kmの各コースからひとつを選び最後まで歩ききるのが目的。コース間ではPTAの皆さんが飴と麦茶を用意しているほか、ゴールではうどんがふるまわれる)

國井 : うんうんうん。

千葉 : 今までは車ばかり運転していたのが、50km歩くことになった。住んでいた寮の中で「1年生は50km歩け」と言われたってのもあって。それでぼく50km歩いたんですけど、タイヘンだったうえに次の日に痛風になりまして。

藤井 : あらら。

千葉 : 痛風じゃないや、帯状疱疹か。耳が帯状疱疹になって。もう少ししたら耳の中にまで入って危ないっていう感じになったんですよ。

藤井 : えー。

千葉 : 寝るにも耳が痛くて。とりあえず薬を塗って一生懸命寝ていて。隣では、寮ではしちゃいけないはずの麻雀の音がガチャガチャしていて。

藤井 : ははは。

千葉 : 「うるせーな」と思いながら。競歩も嫌だなって思いながら。そうこうして自分たちが3年生になる頃に「生徒会やらないか?」って当時の生徒会の人や担任の先生に言われて。でも生徒会やると競歩遠足で70km歩かなきゃならないんですよ。

藤井 : ははは。

千葉 : おれ50kmでも無理だから。でも30kmだったらいいよって話をして。それを快諾してもらって。

國井 : ははは。

千葉30kmで生徒会に入れた(笑)。30kmだと競歩を先頭でゴールできるんですよ。

藤井 : 30kmだと。へー。

千葉 : それでぼく30kmで、そのときすごい余裕の顔をしてゴールしてるんですよ

國井 : わはは。

千葉 : 図録にも載ってるんですけど。

國井 : わははは。

千葉 : そのあと、いろいろな問題があって。ぼくが3年生のときに、いい話じゃないですけど「大麻事件」があって。

國井 : うんうん。

千葉 : これは隠すつもりはないです。ただ最初、生徒達はそれを知らなくて。そのときに本来は常に入れるはずの職員室が入れなくなったんですね。それで「なんでかな?」って思って。その頃ちょうど「9・11」のアメリカのテロ事件があって。

藤井 : はいはい。

千葉 : そのテロ事件が関係あるのかなって思ってたんですよ。

藤井 : え、そのせいで職員室に入れないって?

千葉 : そうそう、思ってたんですよ。先生方がみんな怖い顔をしてたので。キリスト教ってのもあるし。

國井 : あー、それと関係あるんじゃないかなって(笑)。

藤井 : ははは。

千葉 : それで「どうしたの?あのテロの問題?」って先生に聞いたら、何も答えてくれなくて。そしたら次の日に3年生だけ体育館に呼ばれて、大麻の話になって。それから教室に戻った後に、いろいろクラスの中で話し合って。ぼくが知ってる人も吸っていたんですけど、ぼくはちくるつもりはなくて。本人が自分で手を上げるのを待つしかないと思っていた。で、担任がいたら話にならないから教室から出ていてくれって担任に言って。

藤井 : うーん。

千葉担任に出てもらって、ぼくが仕切らせてもらったんですけど

藤井 : 生徒の中だけで。

千葉生徒だけで話し合って。そのあと何人か手を上げて。さらに出るわ出るわ。

藤井 : けっこうな人数が。

千葉 : ぼくも最初は疑われていたみたいなんですけど、「ぼくはしてないよ」って話をして。「過ぎたことは過ぎたことだよ」って言えれば楽なんですけど、学校に匿名で大麻をやった学生に対して「ゴミはくずかごへ」という投書があったり、地域の人に同じようなことを言われたりっていうのがすごいあったんですよ。

國井 : うーん。

千葉 : だけど、それを守ってくれたってわけではないんですけど、先生方が「学校で起きたことは学校で対応したい」って言ってくれた。その結果、当時謹慎していたやつも無事卒業して、いま一生懸命働いているやつもたくさんいるんで、すごい救われている部分もあるし。それを関係ないって言って目をつむるやつもいないし。ただ申し訳ないなって思ってるのは後輩たちには嫌な思いをさせてしまったなと。当時入学しようと思っていたけど、そういう事件があったので入学を止めてしまった人もいるかもしれませんよね。でもぼくの中では、北星余市にはいろんな人がいて、全国から入学するんでイケイケなやつもいれば、不登校の人もいて。カッコいいこと言えば、時代の最先端をいってる高校だと思うんですよ。

藤井 : うんうん。

千葉だからその中で起こる問題も最先端なのかなって。それは先生たちも思っているんじゃないかな。

藤井 : うーん。

千葉 : で、ぼくが卒業するときに、最初は静かに卒業して働こうと思っていたのが、年下の同級生がみんな進学することになって。

國井 : うん。

千葉 : オレより頭悪いのに何で進学するのってやつもいて。

藤井 : はははは。

千葉 : そんなのもいるし。

國井 : ふふふ。

千葉 : そうなると、もしかしたらオレも進学できるのかなって思って。だけど年齢がぼくの中で気になっていたので、けっきょく専門学校に行ってそれから就職したんです。そんな感じで北星余市はけっこう進学率が高い学校なんですよね。北星学園の指定校でもあるので、余市で終わりではなくて、そこから次のレベルアップもできる学校だと思います。

藤井 : うんうん。

千葉 : 何を話してるのか分からなくなってきましたけど(笑)。

國井 : ははは。

藤井 : 全然、大丈夫ですよ。

國井 : トーンがだんだん下がってきましたね(笑)。

千葉 : ははは。そろそろ話を次の出口さんにしようかなと。パスしようかなと。

國井 : ははは。

千葉 : 思います。

藤井 : いったん区切りましょうか。

國井 : いったん区切りましょう。

千葉 : 話が止らなくなるんで。

藤井 : いったんCMとか行けるといいんですけど、そういう機能はないので。

國井 : そういう機能はないですか。

藤井 : 残念ですけど。ちなみに今ですね、視聴者は18人。さっきは19人ってなってまして。

千葉 : 下がっちゃった。

藤井 : この部屋でも2台のPCで観てるので、マイナス2をして外部の視聴者は16人の方が観ているということで、ありがとうございます。

國井千葉出口 : ありがとうございます。

藤井 : 生で観られている方はおそらくコメントを入れられるのかなと。今、(訪問と居場所)漂流教室の山田さんがコメントで挨拶をしていますけれど。なにかリアルタイムで質問があれば、入れてもらえればと思いますし、このまま観ているだけでもOKですのでね。

テキスト3 へ続く
https://www.kokanet.org/archives/1664

北星余市応援ラジオ・テキスト1 國井さん編 『信頼できる第三者の大人』

現在、動画配信中の『北星余市応援ラジオ』。
https://www.kokanet.org/archives/1615

ありがたいことに多くの皆さんに視聴いただいてます。
ただ90分に及ぶ映像を一気に観るのはけっこうタイヘンというのも事実。
そこで今回、文章として読みやすい形でテキスト化してみました。
全体を5つのパートに分けて投稿していますので、お好きなところをピックアップして読んでいただくことも可能です。
一度、映像をご覧になった方も、この機会に改めて北星余市高校の存続の意義を考えていただければ幸いです。(藤井)
hr001

藤井 : はい、みなさんこんばんは。とまこまいフリースクール検討委員会の藤井です。いつもは「生きづラジオ」というインターネット番組をやってるんですけども、今日はですね、その枠を使って特別編とも言える「北星余市応援ラジオ」というのを配信したいと思います。なぜ「応援」なかというと北星余市高校は現在、閉校の危機を迎えています。「生きづラジオ」1回目のゲストで、ちょうど僕の隣にいる國井さんも北星余市の卒業生なんですけれども、その國井さんからの依頼がありまして、北星余市の存続を目的とした「応援ラジオ」というのを今回配信することになりました。まず今日のゲストさんに自己紹介をお願いしたいと思います。では國井さんからお願いします。

國井 : 北星余市32期の卒業生の國井です。よろしくお願いします。

千葉 : 北星余市高校35期卒業の千葉孝洋です。よろしくお願いします。

出口 : 北星余市高校47期卒業生の母です。出口聡美です。よろしくお願いします。

藤井 : はい、よろしくお願いします。で、僕の方から北星余市の実情について説明したいと思うんですけども。・・・・・暗記できなかったので(笑)、ちょっと紙の資料を持ってきました。カンペを。北星余市高校は元々1965年に設立されて。今の何期生っていうのはここからたぶん数えてるんですよね。それで88年からですね、まず高校中退者を全国から受け入れるという体制に変わりました。全国なので遠くは沖縄から入学者がいるってことです。で、高校中退者の受け入れから始まったんですけれども、それ以降は不登校の子どもとか、最近だと発達障害の子どもも受け入れるようになって。その何でしょう、社会の本流と言われるようなところから外れてしまった子どもたちの受け入れ先として、今は機能している学校です。そんな北星余市ですが、だんだん入学者数が減ってきていて。2016年度、つまり次の4月からの入学生が90名に満たない場合、2018年度の入学を停止するかもしれないという段階。まぁ決定ではないんですけれども、可能性が濃厚になっているという状況です。で、まずはその打開策として次の4月からの入学者数を90名にしたいということで関係者の皆さんが各地で頑張っている。このラジオもその一環なわけですが。それ以前にですね、北星余市という学校が担ってきたものっていうのをきちんと検証しないまま、ただ入学者数が減ったから無くなってしまうっていうのは、それはちょっと社会的に失うものが大きいんじゃないかっていう視点もあるかなーと。その辺も含めてですね、今日は話ができたらって思うんです。それにあたってまず北星余市ってどんなところなのかというのを知ってもらった方がいいと思いますので、今回せっかく卒業生とその親御さんに来てもらってますから、まずはそれぞれのお話を聞いてみたいと思います。では國井さんから。

國井 : はい、えーと32期の卒業、ぼく今35歳なので、卒業が17年前になります。で、この高校中退受け入れが始まったのが1988年なんで、ぼくが3年生のときにちょうど全国受け入れ開始から10年目の年だったんですよね。そういったことを、この前「報道特集」の最後にコメンテーターで出てたコウノさんを見て、すごく思い出したんですけども。ぼくは中学2年生のときに不登校になって。なんで不登校になったかざっと説明すると、えーと・・・まず・・・、えー・・・、ざっとは説明できないことが発覚した(笑)。まぁとにかく、すごくプライドが高かったので、勉強も自分の順位が維持できなくなることが怖かった。それとサッカー部だったんですけど、サッカー部の中でも上手くできなくて。そういう自分のプライドが保てないような状況で人の目を避けるようになりました。自分の評価が下がっていくのを人に見られるのが怖くて、学校行かなくなって。まぁ当時、20年前とかですよね。20年前とかって不登校って言葉でなくて、登校拒否だったと思うんですよね。それで自分が在籍していた中学校史上2人目の登校拒否者になって。だから担任もベテランのすごい先生だったんですけど。やっぱり先生のプライドもあっただろうし。けっこう・・・なかなかタイヘンだったんですよね。それで行ける高校も全然なかったわけではなく、通信とか夜間とかあったんですけど。やっぱり全日制というか、普通に昼間通ってっていう道がよかった、というよりも普通じゃなくなっちゃったというのがショックで、不登校になってもうホントに外に一歩も出られなくなって。家の電話が鳴ったりだとか家のチャイムが鳴ったときに、自分を攻めてくるってわけじゃないですけど「学校行きなさい」みたいな、誰かからそういうこと言われるだろうなみたいな。ビクッとビビるような。

藤井 : そう思っちゃう。

國井 : そうそう、そんな感じの生活だったんで。

藤井 : うん。

國井 : そこから自分は普通じゃない、こんな我慢できないんだったらぼくは絶対ホームレスになると思ってて。で、ホームレスの人とか見ると「仲間だなー」っていうふうに思ってたくらいだったんで。それで行ける学校がなかったんですけど、親が探してきてくれたのが北星余市高校で。ぼくはよく分からずに、全日制で行ける学校がある。それとぼく実家が埼玉なんですけど北海道は地元じゃなくて周りが自分のこと知らない人ばかりのところに行けるから、なんかこれはラッキーだと思って「行く」って決めて。で、事前情報を調べると行きたくなくなっちゃうだろうから全然調べずに行ったら。

藤井 : あえて調べず。

國井 : あえて調べず行ったんですよね。行ったらびっくりなのが、めちゃめちゃ恐そうな不良が大量にいて。「なんじゃここは」っていう(笑)。っていうのがぼくの第一印象。

藤井 : その頃は中退者というか、そういうやんちゃ系の方が多い時期ですか?

國井 : どうでしょうね。ぼくの感触だとやんちゃが5割、不登校が3割、で2割が普通くらいな。

藤井 : うーん。

國井 : やんちゃの方が多いイメージな感じでしたけどね。でもやっぱりぼくみたいな暗ーいのもいっぱいいましたし。

藤井 : うん。

國井 : で、その中学校時代の状況からいっても、先生が不登校のときにぼくの家に尋ねてきていろいろ話をしたりだとか、親と先生とのやり取りを聞いてたりする中で「大人ってみんな自分が良ければいいんだな」というか、そういうかなり大人のことを見下すような感覚があったんですよね。そういう思いがあって。だけど自分の親だけは、両親だけは守ってくれるみたいなふうに思っていたんで。大人でも両親だけは違うなって思ってはいたんですけど。で、北星余市に行って、最初は友だちを作るのも怖くて。でもぼくが行った下宿なんかは暴走族の子とかがいたんですけども、その子とすごい仲良くなって。中学校のときに自分は勉強ができるなと思っていて、そういうプライドがあって不登校に繋がったんですけど、はっきり言ってぼくなんかより暴走族の子の方がすごく勉強ができて。ニュースとか見てても「アメリカが何とかかんとか」とかすごい自分の意見を持ってたりして。衝撃を受けて、暴走族の子に対して。すごいなーとか思って。

藤井 : うん

國井 : あと、ぼくはその不登校っていうのを隠して生きていこうって心に誓っていたので。恥ずかしいことだと。

藤井 : 北星余市でも隠していこうと。

國井 : そうです。みんなぼくの過去を知らないので、何も言わなければ過去を隠して生きていけるじゃないですか。そういうふうに思ってたんですけど、けっこうそれをつらっとこう何でしょう、自分の辛かった過去とか苛められていたとか、いろんな聞かれたくないだろうこととかもけっこう平気で言う人たちが友達とか先輩でいて。それがめちゃめちゃカッコよく思ったんですよね。

藤井 : 自分を開示するのが。

國井 : そうそう、そうです。そこに自分が憧れたというか、こうなりたいっていうか、自分のダメな部分を言った方が、そっちの方がカッコいいんだって気付けたのは北星余市のおかげですよね。

藤井 : ふんふん。

國井 : あとは、下宿生活だったんですけど。下宿生活の中でぼくがルールを破ったことがあって。

藤井 : 下宿のルールを。

國井 : 何だったかな、たしかビデオを観てたんですよ。

藤井 : ホントは観ちゃダメなんですか?

國井 : 当時たしかビデオは観ちゃいけないっていうのがあったんですよ。

藤井 : ビデオはダメ、テレビはいい?

國井 : テレビもダメ。ファミコンとかゲームもダメなところで。

藤井 : 下宿内では。

國井 : はい。でもぼくが卒業してからは平気になったと思うんですけど。

藤井 : うん。

國井 : で、そこで。エッチなやつを観てたんですよ。

千葉 : いかがわしいやつを。

國井 : ただのいかがわしいじゃなくて。不良たちがいるんで。あの「裏」っていう。そんな感じのを。ぼくもよく分からないんですけど。

千葉分からない?

國井えー、分かるんですけど(笑)。それを観ていて。そこに管理人のおっちゃんが来て、何も言わずにビデオを取り出して持っていっちゃったんですよね。

藤井 : あー。

國井 : ぼくと友だちの二人で観ていて。たしか先輩から借りたような気がするんだよな、それ。先輩から借りてたから、やばいと思って。

藤井 : それは、おっちゃんが突然部屋に入って来たんですか?

國井 : 突然、入ってきたんですよ。まぁ今考えると危険な気もするんですけど。突然、部屋に入ってきたんだろうな、たぶんな。そうでないと、あり得ないもんな。

藤井 : 何にしても、そういうことがあり。

國井 : あって。それでまぁぼくがちょっと反抗しちゃって。そういうことが、いろいろ重なって。

藤井 : ええ。

國井 : で、國井を出すって話になったんですよ。

藤井 : 下宿から。

國井 : 下宿から出せって話になって。で、ぼくは出されるほどのことはしてないし。また、ぼくも大人が信じられないというか、「大人はなんかダメだ」というストーリーに。

藤井 : そこはまだ抱えてたんですか。

國井 : 抱えてました。友だちとかはすごくいいけど、先生も一生懸命だけど、でも大人なんてウンコだと。そうやってすごく見下していたんで。

藤井 : ははは。

國井 : それで出すって言われて、ぼくは頑として出ないって言ってたんですよね。それでいろんな先生方が、ぼく一宏(かつひろ)って名前なんですけど、「おい、かつひろ」って。「かつひろ、下宿変わった方がいいぞ」ってみんな言ってくれたんですけど。ぼくはもうそういうときになると、「絶対に出ていかない」とか言うんですよ。

藤井 : 下宿に残りたいと。

國井 : そうそう、先輩との関係性も良くて、それまでそういうのを作ってきていたし、友だちも好きだったから、下宿を出たくなかったんですよね。だけど絶対無理ってのは先生方は分かってたみたいで、なんとか説得しようとぼくのところに入れ替わり立ち代わり来るんですよ。

藤井 : うんうん。

國井 : 担任じゃない人も来るんですけど、ぼくは頑として出ないってやってたら、担任のミワコ先生、ミワコという人がいるんですんけど。名前出していいんですかね?

藤井 : もう出ちゃってます(笑)。

國井 : ははは、そのミワコだけ違って、「分かった、かつひろ」って言って。一緒に管理人にお願いしてくれる形になって。その管理人の部屋に行くんですよね。で、行って。ぼくは管理人のことが嫌いだったので、すごく嫌だったんですけど。お願いしに行った瞬間にミワコが土下座したんですよ。

藤井 : 管理人さんに。

國井 : 管理人さんに、いきなり土下座をして。

千葉最終手段をいきなり

國井 : 何も言わずに。

藤井 : 交渉ではなく。

國井 : 交渉じゃないんですよ。お願いじゃないんですよ。まぁお願いではあったんですけど。最上級のお願いですよ。

藤井 : はいはい。

國井 : そこに行くかみたいな。ぼくは完全にその瞬間に「やっちまった」って思って。

藤井 : そこまでさせてしまった、みたいな。

國井 : そうそうそうそう。やべぇと思って。それでもう管理人が大嫌いだったんですけど、ぼくも即行土下座をして。その後のことは何も覚えてないんですけど。その後、帰ってきて部屋に戻っていったんですけど、その騒ぎを申し訳なく思って。全然ミワコの顔を見れなくて。やべぇ、やっちまったっていう感じで。部屋に入って、ミワコも来て「かつひろ・・・、ダメかもね・・・ごめんね」って言われて。ぼくは「いやいや、違うから。ごめんねじゃないから」って。そこで自分は何か言わなきゃって思って。でも上手く言えなくて。それでもぼくが言ったのは「ミワコはお母さんみたいだね」って。

藤井 : そこで。

國井 : そこで。「お母さんみたいだね」っていうのがひじょうにぼくとしては信頼できる大人っていうのを認識できたというか、「お母さんみたいだね」っていうのがひじょうにしっくりくる表現で。だけどめちゃめちゃダサいなとも思って。だけどものすごいリアリティがある言葉だなと、自分としては。その感覚をきっかけに、あれからちょっと変わったというか。

藤井 : 「大人なんてケッ」って思ってた國井さんがはじめて肉親レベルで信頼できる、第三者の大人に出会えたってことですよね。

國井 : はいはい。はじめて大人に信頼してもらった、繋がりが持てた。それによってかなり自分も元気になったし。でもけっきょくそれで寮を出ることになって、新しい寮に行くことによって、さらに楽しくなるんですけど。ぼくが北星余市のことを思い出すと、そこが原点で友だちが自分のことをさらけ出すというのと、ミワコが土下座したっていうのが、ぼくにとってはそれが大きかった。

藤井 : はい、ありがとうございます。ちょっと今の話を掘り下げていきたいところなんですけど、時間が限られているので後でやるとして。先に他の方の話も聞きたいと思います。

テキスト2 へ続く
https://www.kokanet.org/archives/1662

2 / 2