カテゴリー別アーカイブ: スタッフ

スタッフからの投稿です。

Google mapで地球を見てみたよ。

グーグルマップで間違って操作して超縮小したら、宇宙飛行士気分を味わってしまった。いやぁ、すごい。そのうち星間旅行気分も味わえるかもしれない。
と、宇宙飛行士気分もそこそこに、日本に舞い戻った自分ですが、せっかくなので沖縄に寄ってみる。いやぁ、すごい。(笑)
でも、グーグルマップでほしかったのは、我が家の敷地にある廃業したボロアパートの画像。気持ちは一気に現実に引き戻されたわけですが、実はそれを加工して作りたかったものがあったんです。
それがこれです。

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実はこれ、「学校」のイメージです。
まだまだ問題山積みなんですが、こんな学校を作りたいなと思っています。
二階は広い学習・図書のフリースペースで、一階は技術図工・家庭・料理のフロア。
近くにビニールハウスなどで作物をつくれる場所も確保して産地直売も。採れたての野菜を学校で料理して昼食にしたり。近所のスーパーで職場体験もしてみたり。
楽器を奏でてみたり。歌をうたってみたり。思いっきり遊んでみたり。小屋や道具を自分たちで作ったり。
たまに教科書ひらいてみたり。(笑)

なんて、まだ夢ですけれど。

それはさておき、Google mapをみて思ったことは、北海道はこんなに広くて緑や畑が多いのに、僕らはすごく小さな都会の上に生きているということでした。

ここに依存症に関して興味深い記事があります。
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20150826-00002299-ted&utm_source=taboola&utm_medium=exchange
(ジョハン・ハリさん: 「依存症」―間違いだらけの常識 TED  Yahoo ニュース)

自分なりの要約ですが、
・人間の何かに対する依存性は、ひとや社会との関係性、繋がりが希薄なほど強く現れる。
・狭い「オリ」の内側では、その依存性が強くなる。

この記事は引きこもり、不登校、ゲーム、スマホ、ネット依存など、わたしたちの抱えている社会問題に対して、1つの見方を提示してくれているように思えました。

残念ながら、私たちの生きている都会ではのびのびと、自由に活動できる場がどんどん少なくなってしまっています。
子どもたちが楽器を吹くことも、歌をうたうことも、料理の実験をしてみることも、小屋や秘密基地を作ったりすることも、気ままにできません。
少しは学校や部活でできる部分もあるけれど、公園で遊ぶことに関してもかなり規制されてきています。
学校に行けない子はどうでしょう。
家の中に居るだけではもっと世界は狭まるし、やりたいことがあっても近所迷惑になるからと言われたりして、きっと親が許してくれないでしょう。

子ども達はいずれは何かしらの仕事に就くと思うのですが、子ども達の将来に対する夢や希望は、ジョハン・ハリさんの言う「依存」ではなく、「繋がり」から生まれてほしいと思うし、きっと何かへの「依存」が強いオリの中にいるような状態では、やりたい仕事とか夢とか希望っていわれても、特に思い浮かばないというのが当たり前なのかもしれませんよね。

今年の春から、苫小牧市内において、子ども達(不登校や引きこもりでいる子を中心に)が畑作りや自然の中で遊んだり思いっきり活動できる場をつくろうという支援活動が行われています。
もうじきオープンとのことです。
苫小牧でもこういう場所が出来るのかぁ~っと。不登校や引きこもりを経験してきた自分としても、とても楽しみです。
「こども村」のHPはこちらです⇒URL: https://kodomomura.amebaownd.com/
気が向いたら、たまにぼくも行ってみようかな。
近くに小さな川もながれているみたいです。
魚がいるかな? 何か釣れるかな?

いろんな楽しみが待っているかもねb

 

僕も「学校をつくる」っていう自分の夢の方を実現できるようにがんばってみたいと思っています。

出来ることのためにがんばる。正直、それ自体がすごく楽しさに溢れているんですよね。(笑)

 

では、長くなってしまったのでそろそろ終わりにしようと思います。では最後にひとことだけ。

もし地球が大きな「田んぼ」だとしたら
クジラは大きな「おたまじゃくし」だな──b

・・・!

それではまたの機会を!笑

不登校 子ミュニティ Baobab
スタッフ:いそざき

ひきこもりの気づき。

自分が、お子さんが、ひきこもりの状態にある方。または過去にそうであった方。
元ひきこもりだったわたしがやっといま気づいたことを1つだけ伝えたいと思います。
それは「君はすごい。とてもすごい。」ということ──。

ひきこもりの原因って、そのひとの内側に持っているものがそのひとに強い影響を与えているから起こるもので、そのひと自身の本質がひきこもりというわけではないんです。
今、暗いのはその影響の所為で、子どもの頃はもっと明るくはしゃいでいたはずですから。だから「ひきこもり=そのひと」というわけではありません。
ひきこもりが内側に抱えている原因はハチにさされた所のように、バンバンに腫れあがってしまったようなものです。だから、なんであいつは笑えないんだろうとか、なんかあいつは暗いなって思われても仕方ない。
骨折した痛みに耐えているような状態で笑顔になれっていわれても無理があるんだもの。

そのひとが望もうと、望むまいと、ひきこもりの「腫れ」はそのひとの内側にあって、その炎症が強いので「受け入れる」という状態ではなくなってしまい、結局、その部分は他を排除するという働きになってしまいます。
きっと誰にだって同じものがあるのかもしれないですが、腫れが強くその影響を受けている状態にあると、ひとと不調和になったり、ひとを避け、ひきこもるといったことになってしまいます。

だから「君が悪いわけじゃない。」
そう思うんです。

お弁当を学校に置き忘れて中身が腐ってしまったとして、それは弁当箱ではなく中身の問題だけど、その悪評はその弁当箱も被ってしまう。それと似ています。
ちょっと困りものですね。自分が悪いわけではないのに。
出来ることなら、自分の外に追い出してやりたいものです。

わたしもいろいろと試してみたのだけれど、残念ながらひとの場合、お弁当のように中身だけ新しいものに変えることは難しい。もしかしたら出来ないのかもしれません。

でも、1つだけ気づいたことがありました。
それは、僕は決して望んだわけではないけれど、誰もが拒絶したがるこの「ひきこもりの原因」を長い間ずっと自分の内側に受け入れ、包み込んできていた。という事実。

その人間性というか、包含者というか。
たしかにその影響によって、周りから悪評も受けてきたし、辛い目にも遭ってきたけれど。仕方なくても受け入れていたのは、やっぱり本当の自分自身の人間性(人格)なんだなと思えました。

ひきこもりだけに限らず、誰もが拒絶したがるような状況は、自分の身の回りにもたくさんあります。
けれど、それを望もうと望むまいと、その状況を受け入れ包み込んできたのは、あなた自身であり、温かく明るい優しいあなたの本質だと思う。

だから伝えたい。
「君はすごい。とてもすごい。」ということを。

 

不登校 子ミュニティ Baobab    スタッフ:いそざき

内閣府HPにある「ひきこもり」のためのサバイバルライフプランがすごい。

自分の子どもや友人知人が「引きこもり」の状態であるなら誰もが「なんとか脱出させたい」、「社会復帰して欲しい」と願う気持ちが一番に立つはずです。
しかし、その子が「一生働けないこと」を前提として《親が持つ資産を活用することで、お子さんの一生涯の生活が成り立つプラン「サバイバルライフプラン」》といったものがあり内閣府のHPで見ることができます。

それが内閣府共生社会政策統括官(青少年育成)のホームページ「ひきこもり支援者読本」内の
【親が高齢化、死亡した場合のための備え(生活維持のための自助)】。

『ひきこもり支援者読本 PDF版目次』

URL : http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikikomori/handbook/ua_mkj_pdf.html

ざっくりとその内容を口頭的に紹介させていただくと
「まず、今住んでいる家や土地の価格、親の貯金などの資産額と借金やローンなどの負債額を細かに算出しましょう。
そして、その土地・家を売って、今よりも小さい家を建てましょう。その家は賃貸併設の作りにして「家賃収入」を得れるようにしてみてはいかがでしょうか。また年金も未加入・未納の場合、勿体ないので免除申請をして受け取れるようにしましょう。」というようなもので、他にも、生活にまつわる公的な支援制度の紹介やATMでの預金の受け取り、買い物やゴミ出しのことなど、本人が最低限身につけておくべきこと、知っておくと良いものが丁寧でわかりやすく書かれています。
私も5年間の引きこもりを経験した人間ですが、読んでいてあまりにもリアルな内容だったために「面白かった、為になった。」というのが正直な感想です。

働けないことを前提としその生活を一生涯安定して続けられるよう作られた「サバイバルライフプラン」。しかし読んでいくと、何故か「なんかバイトでもやってみるか。」という気持ちが芽生えるような不思議さがあります。
それは「これで一生、安心して生きて行けるじゃん」という確信がもてたときに、どん詰まり状態の「出来ない」という呪縛から心が開放されるためかもしれません。

では最後に、元当事者の個人的な感想として。
これは両刃の剣であるかもしれませんが、けれど引きこもりを脱するために書かれたどんな本よりも、引きこもりであるひとが社会復帰へと至るバイブルとなる可能性をどこか否定できません。
「引きこもり」は当事者1人だけのことではなく、「親子」の二人三脚の歩みが揃っていないと上手く前には進まないからだと思います。
今の状況を否定するのではなく、受け入れたその先にある未来へ歩めるなら、もうそこに「引きこもり」はいないでしょう。その代わりに、元気で笑顔にもなれてずっとずっと明るいお子さんが居るのではないかと思うところです。

 

スタッフ・いそざき

 

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