カテゴリー別アーカイブ: スタッフ

スタッフからの投稿です。

改めまして例会9回目告知

検討委員会・藤井です。

改めましてになりますが、例会9回目のお知らせです。

先月27日のイベントで話し合われたことを受けて、今後の具体的な動きについての検討が主な内容になります。

「親の会」の開始、助成金を使った事業の検討、まさに今発信しているこのホームページ「こどもかけはしネットワーク」のさらなる活用方法。また「フリースクール検討委員会」の名称についても改めて考え直してみる予定です。

7月13日(月)16時から18時くらいの予定。場所は「とまこまい若者サポートステーション」を借ります。

こちら(https://www.kokanet.org/archives/401)も参照してみてください。

途中参加・途中退席OK。内容に関心ある方なら、どなたでも参加できます。

「不登校」について語りませんか 無事終了

検討委員会・藤井です。

フリースクール検討委員会主催イベント『「不登校」について語りませんか』、無事終了しました。参加者は当初の予定どおり約20名。当事者のお子さんはいませんでしたが、親御さん、元当事者、親の会スタッフ、フリースクールスタッフ、新聞記者さんなど幅広い層の方々に来ていただけました。

ファシリテーターを設置して、参加者各人の素直な気持ちを話してもらい、それを否定しないというスタンスで話を進めました。「不登校」という現象は様々な不満を内包しているので、どうしてもそのぶつかり合いというものが起こってしまうのですが、私たち検討委員会として、そしておそらくは苫小牧としてもはじめて本格的に「不登校」という現象に向き合っていくのであれば、議論ではなく、まずそれぞれが語る言葉とその意味を受け止めることから始めてみました。そして昨日に関しては、こういった「場の設定」は有効に機能していました。参加者各人の率直な話から、相互の理解と、課題の発見と、次へ進む道筋を見つけられたと思います。特にほとんどの親御さんから「参加してホッとした」という言葉を得られたのは良かったです。

いろいろな意見・考えが出された中で、プライベートな話題はここでは書けないのですが、大きなポイントと思われるものを2点あげてみます。

ひとつは「親の会」の要望が多く見受けられたこと。これは検討委員会の例会でも「フリースクールより前にまず親の会を作った方がいいのでは」という形で意見があがっていました。おそらく次の目標は、この「親の会」設立になるのではないかと考えます。小規模なものからで構いませんし、毎月じゃなくてもいいですが、継続できる形にはしたいところです。

もうひとつは「積み重ね」の問題。不登校に限らず、ひきこもりでも、若者の就労支援でも、ホームレス支援でも、生活困窮者支援でも・・・。各地で様々な団体・個人がこれまで長年にわたって活動をしてきています。そこで積み重ねられた知識・ノウハウがあまり、というかほとんど共有されていない。不登校支援の歴史は20年を超えるもので今回のような不登校イベントとその中で語られたことは、先行している他の地域ではすでに何度も語られてきたものです。こうした知識・ノウハウを知らずにゼロから取り組みを進めていくのと、ノウハウを自分なりに解釈しながら活用していくのと、長い目で見たときにどちらの方が負担が少ないかは明白です。一方でノウハウを共有・応用していくのは言うほど簡単ではない側面もあります。それでも、先行して取り組んでいる方々のノウハウを活用していく方向で私たちは活動を進めていければと考えます。実際、札幌や函館のフリースクールから「応援します」とのメッセージを頂いてますので、せっかく差し伸べてもらった手をうまく活用していけるよう、それこそ「検討」していきます。現実的に考えていくのであれば、「なぜ共有が難しいのか」という背景について考えていく必要もありそうです。

さて、今後の予定です。

次の土曜日となる7月4日、今回のイベントの会場として使わせてもらった「放課後等デイサービスぽっけ」にて地域居酒屋が開催されます。ここの一室を「フリースクール検討枠」としてお借りして、飲み食いしつつ、いろいろ話ができる場にします。詳細はこちらを参照してください。https://www.kokanet.org/archives/349

7月13日には、フリースクール検討委員会・例会9回目を開催します。今回のイベントで話されたことを受けて、今後の動きについて考え合う場になります。関心のある方でしたら、どなたでも参加できますのでお気軽に顔を出してみてください。途中参加・途中退席OKです。詳細はこちら。https://www.kokanet.org/archives/401

はじめてのブログ執筆

検討委員会に参加させていただいています、磯崎です。はじめての投稿になります。少し長く、乱文ですが読んでいただけたら嬉しい限りです。

私自身、高校を中退したあと引きこもり・ニート生活を5年近く経験した当事者でもあります。
今でこそ、親の気持ちとかを考える余裕も少しばかり生まれて「ああ、あのときは申し訳なかったなあ」と思うことも─。

わたしが学校に行かなくなったのは、高校2年生くらいの頃でした。それまでは嫌々でも、勉強もまじめにやってきていたつもりです。でも、どう考えたって社会的な必要と合致しない学校の勉強に、こんな意味のないことを平然とやってられるかーっと、とうとう断固とした拒否スイッチが入ってしまったんです。家ではゲームばかりやっていたので、とにかく学校を休みたかったという気持ちがその思いを一番後押ししていました。
そうこうしていると、普通に学校に行くことが出来なくなってしまって、遅刻した上に早退するなんてこともよくありました。
それで、結局高校は3年生の時に退学してしまったんです。
ですが、もしも「今の自分」が当時の私に入れ替わるんだとしたら、おそらく高校は卒業までいたかもしれません。入れ替わっても、学校の勉強は身に入らず、留年しない自信もありませんが・・・。
きっと、私は学校に行くのが楽しいと思えているのではないかと思うところです。
というのも、今(28才)になってようやくはじめて学校の楽しみ方を身につけられるようになったからかもしれません。

友達に対しても、先生に対しても。自分かそれ以上に相手を大切に思うことが出来ないと、楽しめないものだから。
あのときのわたしには、どうしたってわからないことでした。
それに、「勉強ってこういうことだなぁ」って、大人になってから本気になる「本当の勉強」はとても楽しい。
国語、数学、理科、社会は深い楽しみを知っている先生はいいけれど、生徒にもそれが伝わらないと、先生だって教えていてつまらないはず。
もっと先生の楽しみを生徒のみんなに伝えられるような授業の出来る、余裕のある教育形態をとれたらいいのに。と、一人思うところです。

ひきこもりや、ニートと聞くと、その人の何かに問題があって、何かが悪いんだって多くの人が思うかもしれません。
いや、確かに、私には随分問題はあったと(いや、今もあると)思いますが・・・。
1歩譲って、そうだとしても。それでも、そういうひとには表には出てきていないけれど、すごく良いものを自分の内側に持っているような気がします。
引きこもりから社会人になっていくには、1歩1歩、「優しさ」と「思いやり」という階段を登っていかなくてはいけません。
それは他の誰よりも、不登校や引きこもりといった当事者たちの内側に、一番力強く輝いているものです。

今、居場所(フリースクール)の設立に関して意見が出し合われています。個人的には居場所が出来たらいいなぁという気持ちもありつつ、引きこもりだって大事な期間だしなぁと思う所もあったりします。一般の方からみれば、それは単なる停滞期間と思われるかもしれません、、、でも、わたしはそうは思っていません。自分にとっては、大切なことに気づかせてくれるために「必要だったもの」とも感じています。それでも、家族やまわりの方には、申し訳ないのだけど、「七転び八起き」なんて言葉もあり、起き上がるために、転ぶことが必要なんですね。・・・えっへん。

雑草魂(だましい)と共に、これからも検討委員会にしぶとく参加させてもらおうと思ってます。(笑)磯崎でした。

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