ふとうこうシンキングカフェ第1回

10月18日(日)、フリスク検討委員会の新たな自主企画『ふとうこうシンキングカフェ』、その第1回目を開催しました。
「不登校」というキーワードを読み解いていくにあたって、いろいろと学んでおいた方がいいことがあります。
そこで定期的に勉強会をやりましょうとなったわけですが、勉強会という名前だと堅苦しいイメージがあるので、カフェ形式の緩い場で参加者が一緒に考えてみる場という位置付けで「シンキングカフェ」という名前を付けてみました。

今回の1回目は、残念ながら検討委員会メンバーとラジオゲストの杉本さん以外の参加者はゼロでした。
ただ、こんなこともあろうかと「生きづラジオ」の技術を応用して、今回の講義部分を全て録画しています。
今後、YouTubeにアップしたり、自主イベントあるいは他の団体のイベントなどで使っていただくことも検討しています。
とはいえ、同じ場での話し合いから得るものも多いかと思いますので、参加者を増やす対策も考えたいと思います。

今回のテーマは『学び』。
誰もが何らかの形で経験するという意味で共通認識を持ちやすい一方で、視点・捉え方によっていろいろな定義がある・見方ができるものでもあるので難しいテーマだとも言えます。
なので今回は視点を絞って、学びについて考えてみました。

不登校を含めて、今の世の中には様々な社会的課題が頻出しています。
学校に行けない状態で長期的に悩み、場合によってはそのままひきこもり状態になり、さらに場合によっては自ら命を絶つ子どもも出てきている。
こういった課題にどう向き合って、対策を考えていけばいいのか。
本来、「学び」とはこういう状況を打開していく取っ掛かりになるものではないか。
今回の講義では学びとは「出来ないことが出来るようになること」と定義付けをしました(あくまで数ある定義のひとつです)。
であるならば、何をやっていいか分からなくて右往左往する状況から脱するために、学びは機能するはず。
なのに子どもは元より、大人までが不登校を含めた社会的課題に右往左往している現状は「学び」が本来の形で機能していないことになる。

少なくとも「試験で高得点を取る」という目的付けでの学びは、リアルな課題解決には機能しませんよね。
つまり勉強の内容ではなく、目的の設定が違うのではないか。
例えば課題解決という目的設定でも主要五科目は機能します。
国語は言葉の理解や相手の考えを読み解く能力を養う。
数学は論理的思考を養う。
理科は仮定と実験による実証、データ解析の技術を養う。
社会は文字どおり社会の仕組みや歴史から当たり前や常識とされるものが一定でないことを学ぶ。
英語は異文化との交流手法を養う。
テストで良い点を取るという目的ではなく、上記の目的設定を行なえば今の社会的課題にみんなで対策を考えることができるようになるのではないか。
そういった「仮定」の話をしました。

他にも、これまでのフリスク検討委員会での取り組みに関連付けての話もしています。
詳細は後日配信される予定のインターネット映像をご覧ください。(藤井)