フォーラム「子どもの居場所のつくりかた」 報告

2月21日(日)、札幌のかでる3・7で開催されたフォーラム「子どもの居場所のつくりかた」にて、フリースクール検討委員会の発表をしてきました。
こちらについての報告です。
北星余市応援ラジオの振り返りがまだなんですが、先にこちらのフォーラムの話をした方が、北星余市の話に繋げやすいかなと思いまして、まずこちらの報告をいたします。
全体的なまとめを、主催の北海道フリースクール等ネットワークの代表・相馬さんがブログにあげているので、まずはそちらをご覧になってみてください。
http://d.hatena.ne.jp/hyouryu/20160221

フリースクール検討委員会はすでに1年半くらい活動していますが、子どもの居場所に関しては今年になってようやく『ゲーム学習会』を始めたくらいで、ほとんど実践していないんですよね。
そういう中で、こういう表題のフォーラムで発表していいのかという疑問がありつつ、しかしフリースクール検討委員会自体は「子どもの居場所を作りたい」という発想が原点であるので、例えば『親の会』も『生きづラジオ』もその過程で生み出されたモノという見方ができます。
今回のフォーラムのタイトルを考えると、子どもの居場所の事例よりは、居場所を作るプロセスを重視しているのではないか、だとしたらその過程で生まれたモノもヒント足り得るのではないか、と無理やり自分を納得させて発表に臨んだのでした。

相馬さんのまとめにある「ソフト」の話は、わたしから発表の主軸として述べました。
自前の場所を持てず、不登校支援に関する事業という「枠」がない以上、枠は他所から借りて、その中身で勝負するしかなかったのがフリースクール検討委員会の現状です。
さらに今回は発表者である藤井個人が以前札幌で取り組んでいた「札幌いけふくろうの会」、「深夜徘徊@札幌」についても言及させてもらったわけですが、こちらも枠は他所から借りてのソフト志向のものでした。

誰もが来られる完璧な場所があるのは理想ですが、様々な要因から現実的ではないんですよね。
ただ、細かいコミュニティ(限定した関心で集まるもの等)は作るにあたっての労力は比較的少なくて済む。
ハードを作るよりソフトを作る方が楽ってのはあると思うんです。
少人数でも人が集まれば、そこは後付けで居場所になるだろうと。
単なる飲み会に居場所という属性を与えることで「いけふくろうの会」に、単なる夜の散歩に居場所という属性を与えることで「深夜徘徊」になる。
要は、それだけのことです。
そういう細かい居場所が増えて、それを網の目のように緩いネットワークにすれば、総体では大きな居場所となる。
むしろジャンルが細かい分、排除される人は少なくなるかもしれない。
まぁこの考えも理想論ではありますが、目指す価値のある方向性だとも思うんです。
場所や枠が先にあって、そこで何をするかという居場所もあるでしょうが、やりたいことが先にあって、それが出来る場所を他所から借りるという順番があってもいいのではないか。
深夜徘徊なんかは、一時的ではありますが街そのものを大きな居場所にしたと言えなくもない。
そういう多様な視点で、居場所を考えていいんじゃないか。

もうひとつ、余談ですが自分がソフト志向なのは成育歴の影響があるんじゃないかという話。
わたしが子どもの頃は転勤家族で、3年に1回ペースで引っ越してました。
転校も数知れず、引っ越しはしないのに新しい学校ができて学区的にそちらに転校なんてこともありました。
社会人になってからも、転職を繰り返し、関東圏も含めてあちことを転々としまして。
するとどうなるかというと、地元意識というのが無くなるんです。
だからファイターズを応援するとか、ワールドカップやオリンピックで日本を応援するという感覚を客観的に理解はできるものの、それが自分の中に自然に発生する感情としては存在しないんです。
依って立つ場所が存在しないというか。
なので、行った先で何をするか、あるいはどこでも出来ることは何かという考え方が基本になるんですね。
こういった中で、ソフト志向が身についた、あるいはソフト志向しかできなくなった、というのはあるかもしれません。

以上、思うところをいろいろ語ってみました。
ただ居場所に通じる話ではありますが、「子どもの」といった辺りがまだまだ薄い感じがありますね。
まだ直接子どもと接する機会が少ないからなんだと思います。
現在、ひとまず作ることができている『ゲーム学習会』をベースに、それをどう膨らませていくかが今後の課題になりますでしょうか。(藤井)