学校について語ってきました

ほぼ1ヶ月おきに記事を投稿させてもらっています。磯崎です。不登校、引きこもりの元当事者です。
先日、ぽっけでひらかれた「学校について語りませんか」というイベントに参加してきました。

そのなかで、個人的に「2つ」のキーワードが印象的でした。
一つは「人との出会い」の大切さと、もう一つは当事者が社会に復帰した「モデルケース」の充実です。

自分みたいにレールから外れた道を歩んできたひとが、再び社会の中で生きていくというのは容易なことではないけれど、それが出来て今生きている人も大勢います。
きっとそこには、レールから外れて「失ったもの」以上に、そこから「育んできたもの、拾ってきたもの」がある。そういう話がイベントの中でありました。

それを学校の先生や不登校、引きこもり当事者やその親御さんが少しでも知っていれば、「それで人生終わりなんかじゃないんだから、ちゃんと考えてあんたの道を歩みなさい」って、そんな気持ちがちょっとでも生まれると思うんです。
だから、たくさんの元当事者達のモデルケースを聞いて、一冊の本にしたいくらい。(笑)

彼らがレールの外で育んできたものは人それぞれかもしれませんが、間違いなくそれは「人との出会い」がきっかけとなって生まれたものだと思います。

それが大切な「学び」なのかなと思います。

 

「よいひととの出会い」は大きな宝石を得ることよりも難しいものです。
親をとても大事にするひと。友人や先生を大事にするひと。いつも明るくて笑顔なひと。
そういう素敵なひととの出会いは、自分の人生をとても価値あるものに変えてくれます。
昔、インドにアーディ・シャンカラ・チャーリアという聖者がいました。
彼は優れた知性を持っていて、インド各地に教えを説いていました。
ある人がシャンカラに、まず一番最初に重要なこととは何かと質問すると、彼は「サットサング(善き仲間)」と答えました。

学校にはいろんなひとが集まりますが、内面的にとても素敵なひととの出会うことだって可能だと思います。
もちろん嫌なやつにも会うこともあるかもしれないけれど。(苦笑)

教科書の勉強だけでは得られない、とても貴重なものを、素敵なひととの交流によって自分の内側に育んでいくこと。
それが学校であってもいいと、僕は思うんです。
それだけでも十分、社会の中でやっていけます。

 

今、近所のスーパーで夜間のバイトをさせてもらっているんですが、中には高校生の子達も結構います。
みんなすごく良いやつなんです。
親想いで・・・。
若いんだし、部活もゲームもしたいだろうに、学校が終わって疲れてても一生懸命仕事して家族を支えている若い子達と出会うことができています。

話を聞くと、当時ネットゲームばかりやっていた自分が本当に恥ずかしくなりました。
仕事で得られるお金も大事だけれど、そんな素敵な人たちとの出会いが、ぼくにとってお金では換えられない一番の報酬のように思います。

ああ。きっと「今、学校に行けたら楽しいだろうなーっ」と思いつつ。
「いやいや、お前はもうスーパーという立派な“学校”に通っているじゃないか」と思わせられる今日この頃。─笑

 

それでは、機会があればまた次回の記事で──b ノシシシシ