自分のひきこもりの話

検討委員会メンバーの磯崎です。主にイベント告知などで使用するイラストなどを描かせていただいております。そして、元ひきこもりです。今日は前回と少し重複するかもしれませんが、自分のひきこもりだったときのことを振り返って、またお話させていただきたいと思います。

わたしは高校中退後、約5年間引きこもりを体験しました。
子どもの頃からずっと、野球やサッカーといったスポーツが大好きでしたし、カードゲーム、TVゲームも人一倍はまり込む方でした。
高校2年生の頃からネットゲームを始めて、それに夢中になり学校の勉強にもだんだんと着いていけなくなりました。学年だけは先生のご厚意もありなんとかあがることができましたが、結局高校3年生のときに中退することになりました。
今思えば、中学・高校時代は緊張の糸をいつも張っていたような気がします。家に居る方がリラックスできますし、やりたいことも出来ていましたから。

約5年ひきこもって、その間にいろいろありましたが、最初の頃はとにかくまわりの人たちと接することが嫌でした。たぶん、自分の状態を自身でも良く思っていなかったし、まわりの方、家族や親類の方も良くは思ってくれません。当然ですよね。
年齢も重ねて二十歳を迎えると、自分でも働けるところ無いかなぁと思いはじめました。
わたしの場合、中卒で車の免許もありません。今もそのままです。
その頃、近場のアルバイトの求人に一回だけ応募したことがありました。二人しか応募者が来ていないというのに、不採用通知がきて意気消沈しました。
その辺りで、人間って何の為に生きているのかなぁとか、何の為に働くんだかなぁとよく考えるようになりました。
それはそれで、自分にとっては有意義な時間だったかもしれません。

自分のひきこもりの状態とまわりの方たち、とくに母親との人間関係は、比例しているように思えます。
だんだんと良くなっていった時期というのは、よく母親と話したり、会話のなかで笑うことも多くなっていました。
それまでは、家族の前でも笑うことが恥ずかしいというか、ものすごく自分を自分自身がんじがらめに暗く頑なにしていました。「笑っちゃいけない、明るくて はいけない」っていう暗示を自分にかけているようで。ネットでの友達との会話では、よく笑ったりしていたんですが・・・。

とにかく、母親と話す機会が少しずつ多くなって、母の前でも笑える機会もでてきてからが、今思うところの「良くなっていった」時期でした。
当事者はきっと親の「こうでなくてはならない。働いて、お金を稼いで、自立して生活をしていかなくてはならない」というような、隠しきれない思いをどこかでちゃんと感じ取ってしまいます。
その思いを強く持っているときに話し合っても、親から出てくる言葉はだいたい決まっているんですね。
自分でも分かっていることでもあるし、今の自分がここに居てはいけないような気がしてしまいます。
だから、閉じこもって、引きこもってしまうんだと思います。

甘やかすわけではないけれど、今の当事者である自分を肯定的に認めてくれるような姿勢を感じ取ることができれば、話したりできる雰囲気になります。
引きこもりであり、仕事をしていないことを、心の中では当事者はとても気にしていると思うんですね。
だから、出来ればあまりそこには触れずに、今そこに存在している自分が居てもいいんだよというような雰囲気や思いを感じれることが、本人の行動範囲を広げられるきっかけになると思います。
社会復帰のまえに、家庭復帰があるんだと思います。

引きこもりの終盤。自分の家が海に近いので、海岸のゴミ拾いをよく一人でやっていました。
それがきっかけで就職の話がきて、思い切ってお願いすることにしました。

今思うと、やっぱり自分ひとりの力では引きこもりから抜け出ることは難しかったと思います。
まわりの方の理解と、せかしたりしない温かさ。忍耐強さ。そういった本当に有り難い思いに、長く支えられてやっと自分の殻を抜け出していけたような気がします。