作成者別アーカイブ: 磯崎

学童保育じゃがいもクラブのお祭りに行ってきました。

昨日、桜木町の共同学童保育所「苫小牧じゃがいもクラブ」でお祭りがあるということで行ってきました。

外の露店では、焼きそばやフライドポテト、からあげ、ソフトクリームなどが売られていて、中では子ども達が主体となった輪ゴムの射的、紐を引っぱるくじ、釣りくじ、おばけ屋敷などが催されていました。

子ども達の催しには共通通貨「ポテ」を支払う仕組みです。ポテは「銀行」で10ポテ=10円で買えます。

ちなみに射的1回(輪ゴム2つ分)では20ポテ、釣りくじ(球体の木を釣り上げて、書かれた番号の景品をゲットする)は1回10ポテでした。

hni_0031

私の方は、射的では見事「なめこ庭園の入場券」をゲットし、くじではお菓子や風船が当たりました。

写真は露店でゲットしたものです。ルックおふろの防カビくん煙剤が、なんと50円!

ソフトクリームや砂糖をまぶした揚げパンもとても美味しかったです。

最後に子ども達の作ったお化け屋敷(20ポテ)も行って、じゃがいも祭りをたくさん満喫して参りました。(笑)

 

hni_0032

お化け屋敷をクリアした勇者にのみ与えられるお札です。

また来年もチャレンジしたいですb

 

子ども達の笑顔に、私もたくさん笑わせてもらいました。

みんな、ありがとう!

 

磯崎

障がいと生活

 

障がいは遠い存在ではない、そんな気がする。

身近なところに、自分の中に、障がいはある。

だけど、しんどいのは、それで心の温かさや嬉しさが望めなくなってしまうことだと思う。

心の嬉しさ、ふれあい、あたたかさを普通のひとは、普通に思えるのかもしれないけれど

そこにカギのかかった大きな扉があって、普通に思えないひとも居る。

それに気付くことって、ものすごく難しい。だって、思えないことが僕にとって普通だったのだ。

だからといって「~障がいだ」なんて、言われたところであまり気分のいいものではないのだけど

そのカギを持っていないのだから、こればかりはしょうがない。

とりあえずは、その大きな扉をノックするところから はじめてみようと思う ──笑

 

毎度、記事を書かせていただいております。磯崎です。元引きこもりの当事者で、検討委員会の活動のチラシなどを作らせてもらったりしています。

今回は「障がい」に関する記事になります。

とはいえ、正直、よく分からないことだらけです。

なぜなら、障がいって、普通にできる人から見て「出来てない」から障がいなのだから。

出来ないひとから見れば、「当たり前」なんだもの。

 

ぼくには問題(障がい)の解決方法はよく分かりませんが

先の文にあったように、いろんな問題があったとしても、そのひとのこころの温かさや嬉しさを大事にしてほしいと思います。

だから、障がいを持っているひとでも、持っているかもしれないと思っているひとにも、勇気の出るような記事を見つけたので、ここで紹介したいと思います。

 

・発達障害の偉人たち1 http://kokoromasic.com/63_great

・発達障害の偉人たち2 http://kokoromasic.com/64_great2

「心の病気について考えよう」より

 

 

余計かもしれないけれど、ついでに、自分のイラストを置いてあるホームページも紹介します。

・河とんぼのお散歩 http://toraillust.ohuda.com/

 

では、またの記事で─b  ノシシシ

ありがとうb

 

 

 

学校について語ってきました

ほぼ1ヶ月おきに記事を投稿させてもらっています。磯崎です。不登校、引きこもりの元当事者です。
先日、ぽっけでひらかれた「学校について語りませんか」というイベントに参加してきました。

そのなかで、個人的に「2つ」のキーワードが印象的でした。
一つは「人との出会い」の大切さと、もう一つは当事者が社会に復帰した「モデルケース」の充実です。

自分みたいにレールから外れた道を歩んできたひとが、再び社会の中で生きていくというのは容易なことではないけれど、それが出来て今生きている人も大勢います。
きっとそこには、レールから外れて「失ったもの」以上に、そこから「育んできたもの、拾ってきたもの」がある。そういう話がイベントの中でありました。

それを学校の先生や不登校、引きこもり当事者やその親御さんが少しでも知っていれば、「それで人生終わりなんかじゃないんだから、ちゃんと考えてあんたの道を歩みなさい」って、そんな気持ちがちょっとでも生まれると思うんです。
だから、たくさんの元当事者達のモデルケースを聞いて、一冊の本にしたいくらい。(笑)

彼らがレールの外で育んできたものは人それぞれかもしれませんが、間違いなくそれは「人との出会い」がきっかけとなって生まれたものだと思います。

それが大切な「学び」なのかなと思います。

 

「よいひととの出会い」は大きな宝石を得ることよりも難しいものです。
親をとても大事にするひと。友人や先生を大事にするひと。いつも明るくて笑顔なひと。
そういう素敵なひととの出会いは、自分の人生をとても価値あるものに変えてくれます。
昔、インドにアーディ・シャンカラ・チャーリアという聖者がいました。
彼は優れた知性を持っていて、インド各地に教えを説いていました。
ある人がシャンカラに、まず一番最初に重要なこととは何かと質問すると、彼は「サットサング(善き仲間)」と答えました。

学校にはいろんなひとが集まりますが、内面的にとても素敵なひととの出会うことだって可能だと思います。
もちろん嫌なやつにも会うこともあるかもしれないけれど。(苦笑)

教科書の勉強だけでは得られない、とても貴重なものを、素敵なひととの交流によって自分の内側に育んでいくこと。
それが学校であってもいいと、僕は思うんです。
それだけでも十分、社会の中でやっていけます。

 

今、近所のスーパーで夜間のバイトをさせてもらっているんですが、中には高校生の子達も結構います。
みんなすごく良いやつなんです。
親想いで・・・。
若いんだし、部活もゲームもしたいだろうに、学校が終わって疲れてても一生懸命仕事して家族を支えている若い子達と出会うことができています。

話を聞くと、当時ネットゲームばかりやっていた自分が本当に恥ずかしくなりました。
仕事で得られるお金も大事だけれど、そんな素敵な人たちとの出会いが、ぼくにとってお金では換えられない一番の報酬のように思います。

ああ。きっと「今、学校に行けたら楽しいだろうなーっ」と思いつつ。
「いやいや、お前はもうスーパーという立派な“学校”に通っているじゃないか」と思わせられる今日この頃。─笑

 

それでは、機会があればまた次回の記事で──b ノシシシシ