ひきこもりの気づき。

自分が、お子さんが、ひきこもりの状態にある方。または過去にそうであった方。
元ひきこもりだったわたしがやっといま気づいたことを1つだけ伝えたいと思います。
それは「君はすごい。とてもすごい。」ということ──。

ひきこもりの原因って、そのひとの内側に持っているものがそのひとに強い影響を与えているから起こるもので、そのひと自身の本質がひきこもりというわけではないんです。
今、暗いのはその影響の所為で、子どもの頃はもっと明るくはしゃいでいたはずですから。だから「ひきこもり=そのひと」というわけではありません。
ひきこもりが内側に抱えている原因はハチにさされた所のように、バンバンに腫れあがってしまったようなものです。だから、なんであいつは笑えないんだろうとか、なんかあいつは暗いなって思われても仕方ない。
骨折した痛みに耐えているような状態で笑顔になれっていわれても無理があるんだもの。

そのひとが望もうと、望むまいと、ひきこもりの「腫れ」はそのひとの内側にあって、その炎症が強いので「受け入れる」という状態ではなくなってしまい、結局、その部分は他を排除するという働きになってしまいます。
きっと誰にだって同じものがあるのかもしれないですが、腫れが強くその影響を受けている状態にあると、ひとと不調和になったり、ひとを避け、ひきこもるといったことになってしまいます。

だから「君が悪いわけじゃない。」
そう思うんです。

お弁当を学校に置き忘れて中身が腐ってしまったとして、それは弁当箱ではなく中身の問題だけど、その悪評はその弁当箱も被ってしまう。それと似ています。
ちょっと困りものですね。自分が悪いわけではないのに。
出来ることなら、自分の外に追い出してやりたいものです。

わたしもいろいろと試してみたのだけれど、残念ながらひとの場合、お弁当のように中身だけ新しいものに変えることは難しい。もしかしたら出来ないのかもしれません。

でも、1つだけ気づいたことがありました。
それは、僕は決して望んだわけではないけれど、誰もが拒絶したがるこの「ひきこもりの原因」を長い間ずっと自分の内側に受け入れ、包み込んできていた。という事実。

その人間性というか、包含者というか。
たしかにその影響によって、周りから悪評も受けてきたし、辛い目にも遭ってきたけれど。仕方なくても受け入れていたのは、やっぱり本当の自分自身の人間性(人格)なんだなと思えました。

ひきこもりだけに限らず、誰もが拒絶したがるような状況は、自分の身の回りにもたくさんあります。
けれど、それを望もうと望むまいと、その状況を受け入れ包み込んできたのは、あなた自身であり、温かく明るい優しいあなたの本質だと思う。

だから伝えたい。
「君はすごい。とてもすごい。」ということを。

 

不登校 子ミュニティ Baobab    スタッフ:いそざき