作成者別アーカイブ: 藤井

不登校・親の会15回目+子どもの居場所のご報告

10月15日に開催した親の会の報告です。
土曜日開催は久しぶり。
今回は、7名の親御さんと3名のお子さんが参加。
また、これまた久々に北星余市高校卒業生の親御さんにも参加いただきました。

もうひとつ、常連の親御さんの知り合いのカウンセラーの皆さんが今回ゲストとして参加してくれました。
親御さんが抱える悩みについて別視点から見ることで、八方塞がりと思われた問題から新たな可能性が見出されていくことが、対話の中で起きていたのが印象的でした。

以前、会の中で話題になった父親の子どもへの働きかけについての話も再び行なわれました。
動けなくなったお子さんの背中を押そうとする父親の行為は純粋な善意から来ているものではありますが、そこにはどうしても「職場」という限られた価値観からの影響が大きいので、学校に行かないお子さんの抱える悩みの本質とはかけ離れたものになることが往々にしてある。
そのため、その「価値観の違い」について指摘する必要がありますが、それにあたって父親の善意そのものを否定しないよう配慮する必要がある。
それはそれで難しいことではありますが、丁寧に対応していかないと、歩み寄りながらのすれ違いを繰り返し、結果としてみんなが疲弊していくことになる。
すぐに結果が出る課題でもないので、今後も会の中で、それこそ丁寧に話し合っていく必要があるテーマなのかもしれません。

次回の日程は、まだ決まっていません。
決定次第、こちらでもお伝えします。

不登校・親の会14回目+子どもの居場所のご報告

少し間が空いてしまいましたが、9月23日に開催した親の会14回目の報告です。
前回に引き続きとなる金曜開催。8名の親御さんに参加いただきました。うち新規の方1名。
お子さん側は2名参加で、こちらも新規で1名参加。
お子さんは相変わらず少なめですが、親御さんの方は8~9名で定着しつつあります。

親御さんの人数が多くなってきていることで全員の話をお聞きするだけで、いい時間になってきてはいますが、逆の見方をすればひとつの悩みに対して様々な考え・意見を聞く機会にもなっています。
不登校という現象はそこに至る過程が人によって様々ですので、明確な一般論的な打開策がないのが実情です。
そうしたときに多様な考えに触れることは、それだけ多くの可能性・選択肢について触れることにもなります。
参加人数が増えたことの意義は、こういったところにあるかと思います。

次回は10月15日(土)開催の予定です。
正式な告知はまた追って致します。

【報告】 フォーラム『新しい学びと育ち in とまこまい』

NPO法人Kacotamとの合同フォーラム『新しい学びと育ち in とまこまい』、終わりました。
関係者以外でボランティアも含めた参加者が3名という結果で、周知面で大きな課題を残すものになりました。

いろいろな観点から分析してみましたが、少なくともチラシをもっと広範囲に撒けばよかったというものではないと考えられます。昨年6月に開催した『不登校について考えませんか』と比べて、今年5月に開催した『学校について考えませんか』が関係者以外の新規の参加者が少なかったことを考えると、例えば「不登校」というような明確な課題をテーマとして前面に押し出すと、今まさに不登校で悩んでいる方や不登校に対する支援について具体的に悩んでいる人が集まる。
対して「学校」とか「新しい学び・多様な学び」といった、人それぞれに解釈が異なるもの、明確かつ具体的な課題として分かりやすいテーマではないものについては、そこに強い関心を持つ人でなければ、なかなか集まらないのではないか。

札幌のような都市部では、教育に携わる人たち自体に多様性があるし、教育系の大学もあるので、子どもの学びと育ちの「今後の可能性」についてすでに関心を持つ人が多いという土壌がある。
一方、苫小牧を含めた地方都市は場所によって、その環境が整っていない。
しかし、教育・学びというものは、そこに子どもが暮らす限りは、必ずついてまわるものでもあります。
そして、不登校を含めた教育全般を考えるためには、不登校という課題に対する対処療法の話だけではなく、やはりこれからの教育とは・学びとはという視点は必須であることも事実。
環境がまだ整備されていない地域に、この視点をどう作り上げていくか。
今回の結果を受けて、改めて考えていく必要性を感じた次第です。

今回のフォーラムでは、北海道教育大の庄井良信先生に講演をお願いしました。
少ない参加人数だったにも関わらず、庄井先生のご厚意で全ての発表を予定どおり行ないました。
そのご厚意に応える意味でも、庄井先生の講演の中から大事なポイントを、いくつかピックアップさせていただきます。

「頑張ってフツウを目指す」、「明るく元気にハツラツと」、「心はいつも晴れやかに」、こうしたイメージとしての良い育ちの印象が、実際の子どもの育ちを歪めているのではないか?

不安だったり、しんどいときに、自分の弱さや失敗とも自然に寄り添ってもらえる、こうした『存在論的承認』を受ける機会が子どもにも大人にも少なくなってきているのではないか?

「痛い」ことを「痛い」と感じることは決して悪いことではない、痛いと感じることを他者に許されることで痛みを無くせないながらも緩和することはできる

ゴタゴタ(葛藤)がありながらも安心と安全を感じられる場所の確保

自尊感情は肯定的な自己感覚で単なる自惚れではない、自分が自分であって大丈夫だと思える感覚

条件付き(成功のみ)で愛された子どもと無条件に(失敗も許容されつつ)愛された子どもの自己肯定感の違い

子どもがおずおずと歩もうとしている道を大人が善意で掃き清めない

育ちを見守る『共存的他者』(となりのトトロ・押入れのドラえもんの距離感)の必要性

以上になります。
Kacotamは学習支援、FS検討委員会は居場所の観点から事例発表を行ないました。
庄井先生の唱える『共存的他者』の立ち位置で運営側がどう関わっているかという文脈で私たちも改めて自分たちの取り組みを捉え直す良い機会にはなったかと思います。

必要な方には今回のフォーラムの資料をお渡しできますので、お問合せください。(藤井)

カコタム合同ポスターa