カテゴリー別アーカイブ: 報告

例会など、さまざまな事業の報告です。

全道のつどい 参加してきました 2日目

前回(https://www.kokanet.org/archives/987)の続きです。
全道のつどい2日目は、午前中が講演、午後から分科会という構成。

講演は、北大大学院教育学研究員・准教授の加藤弘通さんによる『今、あらためて不登校を考える ~発達障碍という視点から関わりの選択肢を広げる~』という演題のもの。
タイトルどおり発達障碍がテーマ。
不登校のイベントということで、発達障碍によって学校に行けなくなった子どもに対する支援をどう考えるか?という切り口での話だったと思うのですが、そもそも「発達」って何?というところを理解することで、個々人の発達の違いによるグラデーションを想像できるようになり、結果として「子どもとの関わり方の選択肢が増えるようになる」というのが正確な内容だったかと。
すべての子どもに対応できる「正解」を知るのではなく(そもそも存在しません)、「間違ったことをしない」ことで致命的な失敗を防ぐという観点。
これは現実的な話になるなーと思い、安心して聞く態勢になることができました。

個々人の発達の違いを知ることが、個々の子どもに対して誤った対応をしない基本となります。
それにあたっては様々な手法があるわけですが、特別な資格を必要とせず誰もができることが「見方を変える」ことだと加藤さんは言います。
「できないところ」より「できているところ」を見る、「なぜ」より「なに」を考える、「問題を分けて」考えるといったキーワードが提示されましたが、どれも着眼点を変えるものばかりです。
相応の慣れは必要かもしれませんが、たしかに資格は必要ない。

パニック障害により落ち着いた行動がとれない、不登校状態で学校に行けない。
どれも一般的な価値基準では、その人すべてに対してマイナスの判断をしてしまいがちです。
でも細かく(問題を切り分けて)見ていくと、問題なくできていること、場合によっては平均以上にできているものが分かる場合もある。
学校には行けないけど、わりと朝早く起きられるとか、お使いには行ってくれるとか、暇つぶしで描いてる絵が神がかってるくらい上手いとか、手伝いで作ってくれた昼食の味付けが絶妙とか、いろいろ。
そういう部分に着目して、そこをふくらませていくことで、できないことを克服するよりも道が開ける可能性はある。
講演では『錯視』についても触れて(2本の平行線に斜め線を加えると平行に見えなくなる的なもの)、人間がありのままを判別できているわけではないことの例として説明していました。
見方を変えることでパッと見では判断できなかったことを認識できるようになること。
それが発達障碍の支援を考えるときに、間違った選択をとらないための有効手段となる。
「人それぞれ」であることをまず理解するには、様々な人を知るところから始めるしかないということにもなりますでしょうかね。

午後からの分科会は、「小・中学生の不登校」、「高校・大学生以降の不登校」、「福祉・医療とのかかわり」、「就労・自立支援」、「青年のつどい」、「青年・大人の語らい」の6つに分かれていました。
「青年のつどい」は青年のみの参加ということだったので、他に5つにメンバーが分かれて参加してきました。
自分は「就労・自立支援」に出席。
本業に関わる分野なのでそちらの話をしつつ、就労・自立というのは個人の能力以上に社会の変化の影響を受けやすいものなので、そちらへの理解と情報収集が必須であり、同時に就労できない理由をすべて個人の能力の無さに理由付けしなくていいことを伝えました。
他の分科会については今後、例会や親の会などで参加者から話を聞くことができるでしょう。

こんな感じで2日間の日程が終りました。
全道の名に恥じず、得られるものの密度が濃い集まりだったと思います。
いつか苫小牧で開催されるようになればいいですが、さてどうなりますか。(藤井)

全道のつどい 参加してきました 1日目

10月3~4日、札幌エルプラザで開催された『不登校・登校拒否を考える 全道のつどい』に参加してきました。
今回が第16回目ということで、16年の歴史があるイベントです。
全道という名前に偽りなく道内ほぼ全域から当事者(元当事者含む)、当事者の親御さん、支援者、不登校に関心を持つ人など多数集まります。
苫小牧ではまだまだたいした取り組みはできてないのですが、発信だけは行っている成果なのか、そこそこ各地で苫小牧のことを認識していただけてるようです。ありがとうございます。

1日目が交流会、2日目が講演&分科会という構成。
初日は途中で『生きづラジオ』に抜けたので、自分はあまり密なやり取りができませんでした。
それでも不登校支援のこれまでの歴史や、函館のフリースクールの取り組みなどについて聞けました。
親の会は90年代から設立され始めてますが、フリースクールやそれに類する支援は2002年頃に一度活発になります。
その後、フリースクールは全体的に運営難を抱えつつ無くなったり生き残ったりといった状況が続く。
そして2011年の東北の震災のときに、被災地支援という観点でクローズアップされるようにもなります。
2015年現在は、困窮者枠での学習支援という位置付けも与えられています。
フリースクールは、各ご時世の社会的課題の影響も受けているということになりますでしょうか。
フリースクールは海外が発祥で、元々は不登校とは関係なく始められたものでもあるんですよね。
いろいろな定義付けができるのがフリースクールの特徴と言えますが、逆に言えばそれが「分かりやすさ」の妨げになっているのかもしれません。
ただ、不登校や学習の捉え方が「分かりやすく」なるのは、それはそれで危険だとも思うのです。

札幌のみならず、函館や帯広など各地ですでに実践しているフリースクールの話をスタッフから直接聞くことができるのが、このイベントのメリットのひとつ。
特に立ち上げ時の話は、とても参考になります。
学習支援は難しいですが、居場所支援を立ち上げるのは比較的楽そう(あくまで「比較的」ですが)。
もちろん継続運営には課題が多いのですが、現状はできることをまずピックアップするというのが大事なんですよね。

2日目については、また改めてお伝えします。(藤井)

[2日目についてはこちら]

「第2回 不登校の親の会」報告

2015年9月26日()に開催された「第2回 不登校の親の会」の報告です。
当事者の親御さん6名・運営メンバー5名での開催となりました。
今回はご夫婦で参加の親御さんもいらっしゃいました。

最初に軽く自己紹介を行ない、続いてフリースクール検討委員会の今後のイベントについてのお知らせ。
そして前回参加いただいた親御さんから、お子さんたちのその後の様子を伺いました。
ある親御さんからは、「親が心の内を吐き出せる場所ができたこと、それを当事者どうしで共有できることで、まずは親が安心できるのが良い」という言葉が出ました。
当事者が集まることの意義を本能的に理解いただけたようで、主催者側としてもうれしかったところです。
前回とはまた違い、緊張感があまりない和やかな集まりだったと思います。

子どもたちの居場所も必要ではないかという提案を運営スタッフからしてみました。
それを受けて親御さんたちからは、クリスマス等に食事会などのイベント企画をまず行なってみる、あるいは親御さん自身が子どもに直接話せそうなタイミングを見計らって、どんな居場所があったらいいかを聞いてみることから始めてみては?という意見が出ていました。

次回の親の会は10月31日() 18時より開催します。
札幌の親の会『アーベルの会』の代表の方がゲストとして参加いただける予定です。
※詳細が決まり次第、正式に告知します。

※アーベルの会ホームページ : http://www.geocities.jp/aberunokai/